- 2009-07-05 (日) 4:12
- 劇場映画
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※何となくネタバレしてます。
前作「ゆれる」は、「何が分からないか」がまだ分かりやすかった。
でも、今作は「何が分からないか」まで分かりにくくなっている。
人間が抱える二面性や矛盾を捉えているのは前作までと共通であるものの、捉え方がまったく違っていたように思う。
誤解を恐れずに言えば、より映画的でなくなり、日常生活に近付いてきたような。
これまでは事件や出来事を通して人物を描いていたのに対し、今作は直接的に人物を描いているような、そういう生々しさと温さを感じた。
最後をどう締めるのか、どうやったらこの映画を締められるのか、終盤に差し掛かって不安すら感じていたのだけど、何も心配は要らなかった。
他に選択肢は幾つもあったはずで、その中からこの結末を選んだということに意味がある。
そこに監督の意志も反映されていると思うし、「伊野」という人物像がより際立った。
あの表情をあの角度で捉えるなんて、最高の締め方だったと思う。
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「本当」と「嘘」を決める基準は、きっと人によって、あるいはその時々の場面によって決まってしまう。
そして、大体の場合においてその基準は、自分たちにとって都合の良いところに定まるものだ。
端から見ればおかしなことであっても、その中に生きている人にとっては「本当」なこと。
この映画では「伊野」という人物を中心に、その「本当」のおかしさを描いている。
しかしその「本当」は特別ではなくて、きっと僕たちの日常生活に当たり前のこととして溶け込んでいるものだ。
だからこそ、登場する人物のすべてに(村人たちにさえ)共感を覚え、感動し、恐怖すら感じる。
僕たちは普段、「嘘」や「演技」というほどのことではないにしろ、何かしらの役割を「装って」生きている。
それも、一つや二つではない。
自分が登場する場面に応じて、それこそ無数の役割を瞬間的に判断し、自然に「装い」を身に纏う。
それは別に咎められたり責められたりする種類のことではなく、むしろ他人との関係を円滑に保つためには必要な要素だ。
「装い方」を知っている人こそ、いわゆる「大人」なのだろう。
ところが、「嘘」はもっとややこしい問題を孕んでいる。
「装い」はずっと続けていれば「本当」であり続けることが出来るけれど、「嘘」が「本当」になることはない。
客観的な判断が下す「外」の基準は、人間同士の関係などには無関心だ。
たとえ「中の人たち」が「本当」だと認めることであっても、「嘘」であるという事実が揺らぐことはない。
薬品会社の男に刑事たちが質問している場面。
「金でも名誉でもなければ、愛ってやつか?」というようなことを刑事が訊くと、薬品会社の男は一つの答えを出した。
言葉で説明するのはとても難しいけれど、誰もが理解できる明快で明確な答えを。
さりげないやりとりではあったけれど、映画全体に筋を通す大事な場面だったと思う。
周りの人たちが「嘘」に気付いていたのかいなかったのか、それは分からない。
ただ、「本当であって欲しい」と誰もが願っていたのは間違いないだろう。
もちろん、そう願う理由は様々だろうけど。
「嘘」であることは、いずれ分かってしまう。
でも、何が「本当」なのか、それは誰にも分からない。
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最近「僻地医療」とか「医師不足」とかいう問題が取り沙汰されているけど、この映画の主人公が「ドクター」だったのは、はっきり言ってたまたまだ。
この映画で言わんとしていることを、最も分かりやすく伝えられる媒体として選ばれたのが、医師という職業だった。
ただそれだけのことだろう。
もちろん映画の題材として扱う以上、想像や願望で事を進める訳にはいかない。
綿密な取材や調査に基づいた、現実的な設定や描写がされているはずだ。
しかし、それらはあくまで物語の背景であり、主題はまた別のところにある。
だから、これは決して社会問題を取り上げた映画ではない。
人間という厄介な生き物の「生態」とでも呼べそうな、本質的な部分を曝け出そうとしている作品だと思う。